七夕イルミネーションは昨年から始め、2回目。ブルーを基調に3000球のLED電球を使い、織女(しょくじょ)と牽牛(けんぎゅう)の2つの星が天の川を渡って1年に1度の逢瀬を楽しむ中国の伝説を艶やかに表現した。
今年は電気エネルギー工学科2年生7人が、試行錯誤しながら2日間それぞれ半日ずつかけてwiz校舎のロビーに飾り付けした。
点灯は昼ごろから夕方までだが、七夕当日の7日は午後7時30分まで。ただし、七夕は日曜日のため室内には入れない。玄関ガラス越しなら見られる。玄関外の階段にもイルミネーションで電飾、階段脇には竹でこしらえた願い事を記した短冊も飾り付けている。
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7月2日(火)
社内研修のため臨時休業させていただきます。
ご迷惑おかけいたしますが、ご了承のほどお願いいたします。
なお、7月4日(木)より通常営業となります。
百人一首の楽しさを幅広い層に知ってもらおうと、ことふみ郡山(渡部幸子代表)は6月8日、「第1回わくわく百人一首サロン」を郡山市の21世紀記念公園・麓山の杜の体験学習室で開いた。
大人4人、中学生2人、小学生1人の計7人が参加した。はじめに代表の渡部さんが和歌に触れ、新元号「令和」の言葉をいただいた前文が書かれた宴についての話をした。しおりとプリントも配り、内容を説明した。
また、小倉百人一首ではない和歌百首に関し、どうしてこの和歌百首でやるかということについて気持ちを共有できる話をした。
かるたは前半、後半に分けて、最初に正月でよくやる形での和歌百首を個人戦として行った。参加者は初めて経験する和歌がほとんどのため、いろいろと突っ込みを入れながら楽しくかるたに興じた。
後半は小倉百人一首の中から40首を2組で編成、グループ戦でゲームした。
百人一首はもともと競技かるたのような遊び方だけではないため、「みんなで楽しくわくわくできるような方法を提案しながら行っていきたい」と渡部さん。
サロンは次回も開く予定で、日本のことを楽しく学ぶ機会をどんどん増やしてゆき、幅広い層の参加を募って世代間交流も目的にする。]]>
百人一首の楽しさを幅広い層に知ってもらおうと、ことふみ郡山(渡部幸子代表)は6月8日、「第1回わくわく百人一首サロン」を郡山市の21世紀記念公園・麓山の杜の体験学習室で開いた。
大人4人、中学生2人、小学生1人の計7人が参加した。はじめに代表の渡部さんが和歌に触れ、新元号「令和」の言葉をいただいた前文が書かれた宴についての話をした。しおりとプリントも配り、内容を説明した。
また、小倉百人一首ではない和歌百首に関し、どうしてこの和歌百首でやるかということについて気持ちを共有できる話をした。
かるたは前半、後半に分けて、最初に正月でよくやる形での和歌百首を個人戦として行った。参加者は初めて経験する和歌がほとんどのため、いろいろと突っ込みを入れながら楽しくかるたに興じた。
後半は小倉百人一首の中から40首を2組で編成、グループ戦でゲームした。
百人一首はもともと競技かるたのような遊び方だけではないため、「みんなで楽しくわくわくできるような方法を提案しながら行っていきたい」と渡部さん。
サロンは次回も開く予定で、日本のことを楽しく学ぶ機会をどんどん増やしてゆき、幅広い層の参加を募って世代間交流も目的にする。]]>
福島県初の芥川賞を受けた作家・中山義秀没後50年記念講演会は5月25日、郡山市立中央公民館であった。
藤沢周平の作品を楽しむ会創立11周年記念講演会を兼ね、代表で中山義秀研究家の庄司一幸さんが「中山義秀の歴史小説『残照』と郡山町の誕生と遊女の句碑」と題して講演した。
庄司さんは「歴史小説『残照』は郡山市ゆかりの作。文政7年に郡山宿が町に昇格した当時の背景が色濃く出ている。町の呼称の許可を祝って共楽園(現在の麓山公園)が造られ、藩主の愛妾の別邸が設けられたが、その愛妾だった遊女の句碑が別邸に代わって建てられている」などと説明した。
郷土が輩出した偉人にも触れ、「郡山が生んだ俳人の佐々木露秀と幕末の朱子学者・安積艮斎は数少ない偉人である」とした。
中山義秀は福島県西白河郡大信村(現・白河市)生まれ。昭和13年岩瀬郡長沼町(現・須賀川市)を舞台にした「厚物咲」で、福島県人で最初の芥川賞を受けた。時代の流れの中で数奇な運命をたどった人々の姿に、作者自身の孤高の精神の悲しみを投影した名作であり、これを機に中山は孤高の作家として知られるようになった。
庄司さんは「中山義秀は深い悲しみの中で悩み、死の間際にはキリスト教の洗礼を受けた」とも話した。
次回は6月22日に特別講演会を予定。新明康弘さんが「人生の折々に出会った藤沢周平作品」と題して講演する。
藤沢周平の作品を楽しむ会への問い合わせは、電話024-945-5473。]]>
バラは白、赤、ピンク、黄色など30種の大輪が咲き、約40㍍のアーチのトンネルはバラを愛でながら散策できる人気コースだ。
開幕の8日は雨模様で多くの花びらが地に落ちていたが、このあとも次々と花を持つという。
8つの池には500株の温帯の睡蓮(すいれん)が白や赤、ピンク、黄色の花が雨に打たれながら水面に顔を出し、梅雨の風情を醸し出していた。
ハウスには熱帯のエジプト原産「ブルーロータス」など睡蓮が100株ほど栽培されており、こちらは紫や赤白のツートンカラーの花が鮮やかに咲き誇っている。9月ごろまで咲いているという。 睡蓮は午後になると花が閉じてしまうため、「午前中の観賞がおすすめ」と牧場関係者は話す。睡蓮とバラの苗の販亮も行っている。 9日は須賀川市の「にこにこバラ園」代表の伊丹雅昭さんを講師に招き、バラの基礎講座「6月からの管理と栽培について」が開かれた。
岩瀬牧場の入場料は大人(中学生以上)500円、子ども(小学生以下)300円、3歳児未満、同伴犬はいずれも無料。団体割引(10人以上)あり。
https://iwasefarm.com
http://www.nicobara.com]]>
Q1.物件探しにあたり、悩んだことは何ですか?
(中学)学区内での物件探しが難しかった。
Q2.購入された物件の決め手は何でしたか?
(中学)学区内であり、物権状態が良かったので
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Q1.物件探しにあたり、悩んだことは何ですか?
(中学)学区内での物件探しが難しかった。
Q2.購入された物件の決め手は何でしたか?
(中学)学区内であり、物権状態が良かったので
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Q1.売却理由を教えてください。
値段が下がりそうだし、空室が続いた。
Q2.売却をするにあたり、悩んだことは何ですか?
すぐに売れるか心配だった。
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Q1.売却理由を教えてください。
福島県復興支援のために買入、もう支援は必要ないため売却しました。
Q2.売却を検討するにあたり、悩んだことは何ですか?
値段です
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Q1.物件探しにあたり、悩んだことは何ですか?
価格と土地について
Q2.購入された物件の決め手は何でしたか?
中古で探していたが、予算内で新築があったので
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co-ba koriyamaであった。コオ折山
新たな観光スポット探し旅の人気を背景に、近ごろは歴史や文化、自然、グルメ、パワースポットなどを切り口にした街歩きツアー・イベントが世代を問わず広く浸透している。
今回のイベントは、街を愛で保存の意義も考えようと、東京などで街歩きガイドを務める著作家、音楽家の黒沢永紀さん(東京・渋谷区在住)を講師に招いて開いた。
ディープな街歩きの世界をのぞいてみませんかという触れ込みで、黒沢さんらスタッフがストリートビューを使いヴァーチャルな街並みやレアな建物を再現。
前半は東京の遊郭と赤線跡、後半は下町モダン建築を主に取り上げ、郡山にもあるモダン建築と絡めつつ、その歴史的背景、遺産としての価値も紹介した。
遊郭跡のくだりでは、江戸から明治、大正、昭和にかけて日本一の色街と言われた吉原を取り上げ、街並み、住居跡を割り図で再現しながら時代背景や当時の生活様式を説明した。かつて貧しい家に生まれた女子が17歳ごろになると遊郭に出され、27歳ごろに年季明けとなったという。吉原の遊女たちの投げ込み寺・浄閑寺の世話になる人も多く、遊女たちが口にしていた「生まれては苦海(界)、死しては浄閑寺」の歌は有名。
寺には安政の大地震や関東大震災、東京大空襲などで亡くなった遊女2万5千人ほどがまつられているという。
後半のモダン建築では、関東大震災後の帝都復興のために建てられた鉄筋長屋、東京市営の鉄筋分譲住宅と店舗住宅、100年前に建てられた下町の清洲寮などがストリートビューで紹介された。最古の鉄筋アパートは大正5年の長崎・軍艦島、現役として今も使用されているのは大正14年の大阪・船場ビルディングという。
復興小学校だった銀座の泰明小や永代橋、モダニズムの原点ともされる旧東京市営深川食堂、レトロな看板建築の数々も紹介。看板建築は郡山市本町にある吉田薬局も紹介され、黒沢さんは昭和初期の貴重な建築物と太鼓判を押した。
黒沢さんは随時、東京の街歩きガイドを務めている。
(2019・5・19)]]>