福島県いわき市にある、曹洞宗洞菊山・龍雲寺。この寺院の墓所に、ひとりの偉大な女性が眠っています。いわきが誇る文筆家、吉野せいさんです。今回は、この地で78年の人生を駆け抜けた、彼女の生涯に思いを馳せます。

山に生きたせいさんの半生

吉野せいさんは1899年4月15日、いわき市小名浜で生まれました。独身時代の彼女は、雑誌や新聞で活躍する文人でしたが、結婚と同時に筆を折ります。それまで書いた日記と原稿を焼き、いわきの菊竹山で開墾生活に入ったのです。せいさんは、少しでも広い畑を持ちたいと願いながら、山を拓く厳しい作業に従事しました。

そのせいさんが、例外的に筆をとった時期があります。まだ赤子だった、娘の梨花を亡くしたときのことです。彼女は深い悲しみを日記や童話に綴り、娘を想いました。貧しさの中で7人の子供を産み、開墾者として働いたせいさん。その半生は、決して平穏ではありませんでした。

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せいさんが眠る龍雲寺墓所

70歳を超えたせいさんに、ある人が文筆再開を強く勧めました。同じいわきの詩人・草野心平です。情熱を取り戻した彼女は、再び筆をとります。

開墾の日々、夫との愛憎、貧しかった子育て。壮絶な半生は、年代記「洟をたらした神」として綴られて行きました。

せいさんが76歳になった1975年に「洟をたらした神」が大きな注目を浴びます。大宅壮一ノンフィクション賞、田村俊子賞という大きな文学賞を同時受賞したのです。封印されていた才能が、鮮やかに花開いた瞬間でした。

 

せいさんは1977年11月4日、78歳で永眠しました。墓所がある龍雲寺は、とても清々しい寺院です。明るく広い境内を歩き、木々の緑を見ていると、思わず深呼吸をしたくなります。今でもせいさんの命日には、彼女を慕う人々が、県内外からお墓参りに訪れるそうです。

厳しい人生を強く歩み、最後に美しく咲いた吉野せいさん。彼女の生き様は、今後もずっと読み継がれていきます。

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