辻札とは、地区の境目などに立ててあるお札で疫病や悪いものがその土地に入ってこないようにするものです。都市部では、見かける機会も少ないと思いますが、古いしきたりを大切にしている地域では残っています。

福島県新地町駒ケ嶺地区にある辻札

上記画像の辻札は、駒ケ嶺城跡近くの道路脇に立っています。駒ケ嶺城の歴史からひも解くとこの場所に辻札が立ててある意味が分かります。

駒ケ嶺城は、新地町駒ケ嶺地区、駒ケ嶺小学校から北に約800mの山に作られたお城です。天正年間(1570年代)にそのころ小高(現在の南相馬市小高区)にいた相馬氏により建てられました。しかし、天正17年(1589年)の戦いが駒ケ嶺城と新地城で行われ、駒ケ嶺城・新地城は伊達氏にうばわれました。うばった後も伊達氏は相馬との境目の城として、駒ケ嶺城を使い続け、信頼できる家来や一族をおきました。

江戸時代から明治時代になる時に、東北地方では江戸幕府軍と明治政府軍による戊辰戦争がおこなわれ、仙台藩(伊達藩)は江戸幕府軍につき、この駒ケ嶺城は福島県浜通りの最後の戦場となりました。この歴史からもわかるように辻札がある駒ケ嶺地区は、古くから伊達藩と相馬藩の境目でもあった場所です。

 

そしてこの辻札は、地域の氏神様でもある子眉嶺(こびみね)神社で御祈祷されたお札を立てているとのこと。新年などの季節の変わり目に地域の人たちの手で新しく取り換えられています。

福島県浜通り各地に残る辻札

これらは南相馬市に立ててあるお札です。初めて辻札が道路脇にあるのを目にすると、とても驚くと思います。悪い霊でも出る場所なんじゃないかと思ってしまいますよね。お札は一か所だけではなく点在しているのでこの土地は大丈夫なのかと心配になるかもしれません。でもお札をよく見ると「鎮守」、「悪疫退散」と「字内安全」の文字が書いてあります。古くから人々に受け継がれ、地域を守るために立てられている辻札。辻札が藩や村の境にあるように、地域の歴史がわかることもあります。

辻札があるということは長い年月、地域を守る想いが継承され、とても大切にされている地域なのだとわかる目印でもあります。昔は全国各地であった辻札も今は見かけることが減りました。古くから地域に残る伝統を大切にしていきたいものですね。