いわき市ってこんな街・・・歴史編

いわき市ってこんな街…歴史編

こんにちは!イエステーションいわきです。

今回は、私たちの会社がある、いわき市について改めてご紹介したいと思います。

いわきの歴史について少し調べてみましたので、最後までお付き合い頂けたらと思います。

【遺跡や史跡から見る、いわき市誕生までの歴史】

いわきは、旧石器時代から始まったとされ、市内に残る旧石器時代から弥生時代の遺跡「大畑遺跡群」「亀ヶ崎(かめがさき)遺跡」からも、温暖な気候と豊かな自然に支えられ、狩猟や魚をとって生活していた様子がわかります。

◎古墳時代には、土を高く盛り上げた大きな墳墓(ふんぼ)が作られるようになり、市内にも全長118mにも及ぶ「玉山古墳」「甲塚古墳」が残るほか、「中田横穴(国史跡)」は後室の周壁に描かれた白と朱の三角紋が有名です。

◎飛鳥〜平安時代は、中央の支配体制に組み込まれるようになり「岩城評」が置かれたのち、陸奥国の五群と常陸国の一部を併せ「岩城国」が置かれますが、程なく「陸奥国」に併合されてしまいます。夏井川流域を中心とする「磐城郡」の役所が「根岸遺跡(平-下大越)」一帯にあり、鮫川流域を中心とする「菊田郡」の役所が「郡遺跡(勿来町窪田)」一帯にあったものとされており、平安時代の末期には、内郷白水町にある浄土式庭園を伴う「白水阿弥陀堂」が作られました。

◎鎌倉時代に入ると岩城氏が勢力を増し、室町時代には大館(現、好間町)に「大館城(飯野平城)」を構え、各豪族を支配しました。岩城氏は、最盛期には北関東までをも支配する戦国大名となりますが、関ヶ原の戦いで領地を没収され鳥居氏が治めるようになります。そして、江戸時代に入ると「磐城平藩」のほか「泉藩」「湯長谷藩」「窪田藩」「棚倉藩」「笠間藩」に「幕府領」などが複雑に配置され、統治されていました。

◎明治時代以降は、明治維新ののち1871年(明治4年)に「廃藩置県」が実施され、1889年(明治22年)の「市政・町村性」の実施により、ほぼ現在のような枠組みが固まります。そして、昭和30年代になると、いわき地方の経済発展を支えてきた石炭産業が下火となり、地域産業の停滞の救済と地方への開発拠点の設置を進めようと、いわき地方は「新産業都市」とされ、いわき地方の5市4町5村が合併し「いわき市」が誕生することとなったのです。

【日本一広い!いわき市として誕生】

いわき市は、1966年(昭和41年)10月1日、平市、磐城市、常磐市、内郷市、勿来市、石城郡四倉町、遠野町、小川町、好間村、三和村、田人村、川前村、双葉郡久之浜町、大久村が合併し、日本一広い面積(合併当時は-1,227.45キロ平方メートル)の市となり誕生しました。人口も、昭和40年10月の国勢調査によれば、333,881人で全国24位、東北では仙台市の約48万人に次いで2位の県内最大の都市でした。

そして「新産業都市」として、首都圏から近い利点もあり、東北1、2位を争う有数の工業都市として発展しました。

◎現在は、1966年に炭鉱会社が会社存続をかけ開業させたといわれる「スパリゾートハワイアンズ」は東北地方で最も集客を誇るリゾート施設となり、そのほかアクアマリンふくしま」「いわき湯本温泉など多彩な観光資源で「観光都市」としても発展しました。特に「スパリゾートハワイアンズ」は、2006年に「フラガール」として映画になるなど、いわき市の顔となり、近年では市を挙げてハワイ色を強く出した観光PRを行っています。

◎交通面も、常磐自動車道、磐越自動車道が開通後は、首都圏および福島県各地へのアクセスがよくなるなど、電車やバスもふくめ交通面でも著しく発達してきました。震災後も、雪もあまり降らない温暖な気候や、交通などの便利さから移住者も多く人口も増え、今後もますます生活面や商工業の発展が予想されそうな街です。

いかがでしたか?

わたしも、調べていて意外な発見がいろいろありました。そしていわき市には、いろいろな遺跡や史跡があるのですね!時代を感じる歴史スポットに、わたしも行ってみたいと思いました。そして、いわきは化石も有名ですよね!ドライブやお散歩しながら、お家とともに歴史探しを…みなさんもしてみませんか?

イエステーションいわきの関連サイト

ページ上部へ戻る