
唯一無二の社名が誘う古代のロマン
福島県須賀川市の中心市街地にあって、喧騒をよそに深閑とした空気を湛える一角があります。こここそ、奥州須賀川の総鎮守として千数百年の長きにわたり、人々の暮らしと心を支えてきた「神炊館神社(おたきやじんじゃ)」の鎮守の杜です。全国を探しても他に例を見ないこの珍しい社名には、この土地の古代からの歴史と、人々の切実な願いが深く刻まれています。
神炊館神社は、単なる地域の守り神という枠を超え、古代の国造(くにのみやつこ)の事績、中世の武将の信仰、近世の俳聖の足跡、そして現代の街の活力を繋ぐ、壮大な歴史の結節点なのです。その歴史と文化の重層的な魅力を、紐解いていきましょう。
社名「神炊館」に秘められた建国神話
神炊館神社の創建は、記紀の時代にまで遡ります。『古事記』や『国造本紀』に登場する建美依米命(たけみよりめのみこと)は、成務天皇の御代に初代石背(いわせ)国造として須賀川の地に赴任したと伝えられています。
彼がこの地でまず行ったのが、新しい国づくりの仕事が滞りなく進み、人々が安全で幸福に暮らせるよう祈願する儀式でした。それは、その年に収穫された新穀を炊いて、天地の神々、すなわち天神地祇(てんしんちぎ)に捧げるという神聖な儀式です。この儀式が行われた場所には、後に社が建てられ、建美依米命の事績に因んで「神炊館(おたきや)」と名づけられました。
「神炊館」という名は、「神を祀るために新穀を炊く場所」を意味し、それは農業を基盤とするこの土地の豊かな実り、そして人々の平和な生活への根源的な祈りを象徴しています。神社の始まりが、単なる神の降臨ではなく、初代国造による具体的な「国づくり」の儀式であったという事実は、この神社がこの地域のアイデンティティそのものと深く結びついていることを示しているのです。
中世の武将と「お諏訪さま」の時代
古代の信仰は、中世に至ると新たな局面を迎えます。室町時代、須賀川城主であった二階堂為氏(にかいどうためうじ)は、信州諏訪大社の神である建美名方命(たけみなかたのみこと)を迎え入れ、建美依米命と共に合祀しました。
これにより、神炊館神社は「お諏訪さま」として広く親しまれるようになります。当時の武将にとって、武勇の神である諏訪の神への信仰は篤く、二階堂氏の庇護のもと、神社はますます栄えました。
しかし、戦国時代を経て須賀川城が落城すると、土地は会津領となり、一時は神社の存続も危ぶまれます。ここで信仰心に篤い会津城主・上杉景勝(うえすぎかげかつ)が、神炊館神社を厚く保護しました。慶長3年(1598年)には、景勝公の庇護のもと、両神を合わせた新たな社殿が現在の諏訪町に造営され、北門には景勝公が寄進したとされる石鳥居が残されています。
江戸時代に入ると、神社はさらに広く崇敬を集め、正徳2年(1712年)には朝廷より「正一位」の神階を授かり、「岩瀬総社諏訪大明神」と称し、末社は郡内八十社にも及ぶ広域な信仰圏を持つに至りました。「お諏訪さま」という親しみのこもった呼称が、この時代に不動のものとなったのです。
現在の「神炊館神社」という社名に復したのは、明治11年(1878年)のことで、古代からの由緒ある名を再び称することになりましたが、今なお地元の人々からは愛情を込めて「お諏訪さま」とも呼ばれています。

松尾芭蕉の足跡と俳句のロマン
神炊館神社の歴史の中で、特に文学的なロマンを感じさせるのが、俳聖・松尾芭蕉との出会いです。
元禄2年(1689年)、『おくのほそ道』の旅の途上、芭蕉は弟子の曽良(そら)とともに須賀川に8日間滞在しました。この滞在中に、芭蕉は当時の須賀川の名士や俳人たちと交流を深め、その中で、彼らは当時の「諏訪大明神」であった神炊館神社を参詣しています。この参詣の記録は、曽良の『随行日記』にも克明に記されています。
芭蕉は須賀川の俳人たちと交流し、歌仙を巻くなど精力的に創作活動を行いました。その影響は大きく、須賀川はその後、俳句の文化が花開く「俳句の里」として発展していくことになります。
境内の参道を進むと、その歴史を肌で感じることができます。石畳の両脇には、松尾芭蕉はもちろん、正岡子規、高浜虚子をはじめとする著名な俳人や地元の歌人たちの句碑がずらりと並んでいます。これらの句碑は、単なる記念碑ではなく、芭蕉がもたらした文学の風が、300年以上の時を超えてこの地に吹き続けている証です。句碑を一つ一つ読み進める時間は、歴史上の偉人たちと同じ景色を共有する、またとない文学的な体験となります。

四季を彩る祭事と現代への融合
神炊館神社は、一年を通じて多彩な祭事が行われ、地域の活気の源となっています。
1.新年の賑わい: 大晦日から元旦にかけては、多くの参拝者が参道に列をなし、午前零時の大太鼓を合図に参拝が始まります。歳旦祭が執り行われ、一年で最も賑わう季節です。
2.春の彩り: 境内に咲き誇る樹齢およそ300年の江戸彼岸桜の群生は、春の風物詩です。5月8日には春季例祭が行われ、柔らかな陽光の中、鎮守の杜に生命の息吹が満ちます。
3.夏の祓い: 夏には、半年の厄を祓い、残り半年の無事を願う日本古来の神事「夏越の祓(なごしのはらえ)」が行われます。茅の輪(ちがやのわ)をくぐることで、心身の穢れを清める参拝者の姿が見られます。
4.秋の豊穣: 毎年9月の第2土曜日・日曜日に行われる秋季例大祭は、須賀川秋祭りとして街全体を巻き込む盛大な祭りです。各町内のみこしが目抜き通りを勇壮に繰り出し、「わっしょい、わっしょい」の掛け声が響き渡ります。子ども神輿や巨大獅子頭の獅子舞なども登場し、街中が熱気と歓喜に包まれます。また、現代の須賀川市が「ウルトラマンの故郷」であることを反映し、神炊館神社ではウルトラマンやウルトラセブンのお守りといったユニークな授与品も人気を集めています。歴史と伝統を守りながらも、現代文化を柔軟に取り入れる姿勢は、この神社が「総鎮守」として、あらゆる世代の人々に愛され続ける秘訣でしょう。

守の杜の未来へ
神炊館神社は、古代からの食と平和への祈り、中世の武士の信仰、近世の俳句文化、そして現代の街の活力まで、須賀川の歴史のすべてを受け止めてきた巨大な器のような存在です。
全国唯一の「神炊館」という社名は、単に珍しいだけでなく、この土地の始まりを意味し、私たち現代人にも、衣食住の根源である「新穀を炊く」という行為の尊さを教えてくれます。
街の中心部にありながら、一歩鳥居をくぐると、時が止まったかのような静寂に包まれる鎮守の杜。松尾芭蕉も参詣したその風景の中で、私たちは遥かな歴史と、代々受け継がれてきた人々の切実な祈りを肌で感じることができます。奥州須賀川総鎮守・神炊館神社は、これからも変わることなく、この土地に生きる人々の心の拠り所であり続けるでしょう。





